2006年12月21日

待遇のレベルを下に合わせて格差を無くすという妄言

八代尚宏・国際基督教大教授の提言
「正社員と非正規社員の格差是正のため正社員の待遇を非正規社員の水準に合わせる方向での検討も必要」
MSNニュース「労働市場改革:正社員待遇を非正規社員水準へ 八代氏示す」より

当たり前の事ではあるけど、確かに非正規社員の待遇水準を向上させるのは努力すべき方向だよなぁ、うんうん。

ん、あれ・・・。

"正社員の待遇を非正規社員の水準に合わせる"
「非正規社員を正規社員の水準に合わせる」のではなくて、「正規社員を非正規社員の水準に合わせる」のですか!?何を言っているんだ、この人は・・・(゚O゚;

非正規社員の平均年収200万円程度とも言われる待遇はさすがに悪いので、その点は問題があるが、少なくとも非正規社員には(正規社員に比べて)自分で時間をコントロールしやすい、それほど大きな責任はかからないというメリットがある。非正規社員の中には、そのような点に魅力を感じている人がいるから、現在の非正規社員への待遇はかろうじて成り立っているのに、その待遇を正規社員にまで押し付けるのは非合理的だと思うが。

実際にこれが実行されたとしたら、むしろ格差が広がるのではないだろうか。これが実行されたとしても、仕事の出来る社員はほとんど収入は減らないだろう。企業としても、仕事の出来る社員が流出してしまうのは痛手だろうから。それに対して、並みの仕事しか出来ない社員は非正規社員並の待遇に甘んじる事になる。なぜなら、並みの仕事しか出来ない人は転職などをしても、待遇の向上は期待しにくいから。この点から考えると、八代氏の提言が実現した日本社会というのは、一部の高所得層と大多数の貧困層に分かれた極端な格差社会になるのではないか。トランプゲーム風に言うなれば、少数の「大富豪」と大多数の「大貧民」により構成され、「平民」の少ない社会となるのではないだろうか。もし、そんな事になれば、トランプゲームと同じく革命的気運が起こらないとも限らない。今回の八代氏の提言では低所得層(貧困層)の間では格差が小さくなるかもしれないが、社会全体として見た場合には格差が拡大するものと言えるだろう。

私が考えるに、格差を少なくしたいならば、正規社員と非正規社員の待遇を合わせるよりもむしろ、正規社員を希望する非正規社員の方に、広く正規社員への門戸が開かれた社会を作る事が重要だと思われる。非正規社員の中には「時間的な自由さ」や「責任の軽さ」を魅力に感じ、自らの判断で正規社員にならない人もいるのだから、そのような自分で納得して非正規社員になっている方は正規社員に比べて待遇が少々、劣っていてもそれほど不満を抱かないだろう(その点を考慮しても今の非正規社員への待遇は低すぎるが)。

格差社会問題を語る場合、格差自体が問題となる事が多いが、私は必ずしも格差自体が悪いとは思わない。先述した通り、フリーターや非正規社員として働いている人の中には「自由」を謳歌したいがためにその立場にいる人もいるわけで、そのような方が正規社員の方と比べて格差があるというのは、それほど大きな問題ではない。問題は正規社員になりたいのに、年収の極端に低い非正規社員に甘んじている人がいる事だろう。実際には、正規社員として働く意欲があるにも関わらず、企業側の都合で非正規社員という立場から抜け出せない人がいる。社会にはある程度の格差はあっても構わない。しかし、自分が望まないのに、低所得層になってしまっている人を極力、少なくする必要はある。

もちろん、正規社員を増やすというこのやり方だと企業が苦しくなるという指摘もあるだろう。しかし、非正規社員を正規社員として採用して、致命的ダメージを受ける企業はそれほど多くないだろう、特に大企業の場合は。そもそも、企業というのは、それ自体が稼ぐために存在しているのではない。企業が稼いだお金を従業員や株主などに配分し、皆で豊かになるために存在しているはずである。つまり役員など一部の人が必要以上に利益を得て、従業員や株主の利益が圧迫されるのは不適切であるし、また、株主だけに配分を集中して従業員の配分を抑えるというのも不適切である。つまり、「企業が苦しい」という企業主体の考え方は、賢明な考え方であるとは言いがたい。

ちなみに、今回の提言をした八代氏はエリート中のエリートとしての経歴の持ち主で、企業で平社員として働いた経験などあるはずもないだろうし、現在も大学教授という極めて安定した立場にいる方が、労働者への対応を語る事など出来るのだろうか。もちろん、学問としては可能だろうが、学問として合理的な事が現実において合理的であるとは限らない。今回の提言も机上の空論に過ぎないのではないだろうか。

ようやく少しずつ話題になり始めた「ホワイトカラー・エグゼンプション」の件でも言えるが、労働者への待遇を考える際に、政治家、企業役員、大学教授という必ずしも労働者と利害関係が一致しない人ばかりが話し合うというのは問題がある。既に勝ち組の人ばかりが集まって話し合っても、自分達がより多くの利益を享受できる結論に流れるのは当たり前である。聖人君子でもない限りは、誰でも自分の利益が最重要なのだから。

関連記事:痛いニュース「格差是正のため、正社員の待遇をパート並に」…経済財政諮問会議・八代氏」


posted by admin at 00:23 | Comment(2) | TrackBack(0) | 雑感 このエントリーを含むはてなブックマーク
この記事へのコメント
お邪魔します。先日はレスありがとうございまし
た。
 かつて「エキスパートシステムは適切に作らな
いと、例えば『患者の発熱を下げるのは』という
問いに『殺せばよい』といった解答が返ってくる
ようなシステムになってしまう。」というのを読
んだ事があります。

>もし、そんな事になれば、トランプゲームと同
>じく革命的気運が起こらないとも限らない。

革命的気運の前に

・貧困で人々の心が荒み、治安が悪化する。それ
 により治安維持のためのコストが増大する。

・高所得層は貧困層を「あいつらは自分達の富を
 奪いにくる」「自分達の納めた税金を食い潰し
 ている」と思い、貧困層は高所得層を「あいつ
 らは自分達を搾取している」と思う。これでは
 「連帯」は生じ難い。「貴族は貴族、平民は平
 民」という身分制社会ならともかく民主主義社
 会では都合が悪いのではないだろうか。

・貧困層に対して「世のため人のため国のため」
 を求める事が難しいのではないだろうか。

もっとも上の問題点に対し「力で押さえつけ、死
に物狂いで働かざるを得なくすればよい」という
意見が出るであろう。その方向のはるか向こうに
は「異様な体制以外には何も無い」北朝鮮が見え
る。
Posted by ブロガー(志望) at 2006年12月21日 23:15
> 民主主義社会では都合が悪いのではないだろうか。
現代の民主主義は多数決が原則なので、普通に考えれば多数派となる平民が有利です。
しかし、富裕層と貧困層が極端に別れた社会となると少数派の富裕層が主導権を握りがちという側面もあるかと思います。

選挙を例にとっても貧困層が立候補して何かとお金のかかる選挙戦に挑むことは困難でしょうし、またどちらかというと心身ともに疲れきっている貧困層の方が投票率も低くなりがちなのではないかでしょうか。

また、仮に当選しても企業や富裕層の圧力を前にして、貧困層重視の政策を取り続ける事は、余程、強い意志が無い限りは難しいでしょう。

北朝鮮と違い選挙権があるだけマシなのかもしれませんが、それでも極端に格差の出来た社会というのは選挙さえも健全な効果を発揮するとは考えにくいです。

そういう点でも、中間層での生活を望む人が低所得層に甘んじる事のない社会、富裕層を目指す人たちがチャレンジできる社会を構築し、層の固定されないようにする事が重要であると考えます。
Posted by admin at 2006年12月24日 00:46
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